成果発表会
2004年3月24日物凄く体調が悪かったので、あー今日いつ成果発表なんやろう。
連絡ないし4時くらいかな。と思って学校に行った。
友達にきいたら、3時からって1ヶ月前に言われていたそうだ。
しかも、昨日変更して2時からになっていたそうで、二人とも遅れた。
その後、歓送迎会があって、俺は新4年なので歓迎される側だった。
色々な事情等を聞けて、結構よかった。
さすがに、研究室関係は日記に書けんな。
連絡ないし4時くらいかな。と思って学校に行った。
友達にきいたら、3時からって1ヶ月前に言われていたそうだ。
しかも、昨日変更して2時からになっていたそうで、二人とも遅れた。
その後、歓送迎会があって、俺は新4年なので歓迎される側だった。
色々な事情等を聞けて、結構よかった。
さすがに、研究室関係は日記に書けんな。
だらだらしていた
2004年3月21日昨日朝5時まで喋っていたので12時におき、
それから本読んだり、いろんな人と話したりして一日が終わってしまった。
公務員試験の勉強ぜんぜんすすまないなあ。
それから本読んだり、いろんな人と話したりして一日が終わってしまった。
公務員試験の勉強ぜんぜんすすまないなあ。
地下鉄の名前が。
2004年3月19日疲れていたので12時まで寝た。
その後、学校へに行った。
地下鉄にチャリを持っていけるか分からないけどためしに持って行ったらいけた。
地下鉄が名前変わるのは気に食わない。
「帝都高速度交通営団」の方が
昔帝都と呼ばれていたことを思い出させる、重みのある名前で
断然カッコいいと思うから。
「東京地下鉄株式会社」ってなんやねん。
そんな名前にするなら都営線と一緒にしてや。
東京メトロという名前は、米国のあの適当な運転をしている
メトロの東京版みたいな感じがするので、
非常に悪い名前だと思います。
学校着てみると
高校生やら勧誘している1、2年やらが一杯居て、本郷キャンパスが若返っていた。
図書館行って勉強した後、運動しに行って、
帰ろうとしたら、友達が車を実家から乗ってきたというので、乗せて貰った。
飯喰いに行ったり、別の友達の家行ったりした。
その後、学校へに行った。
地下鉄にチャリを持っていけるか分からないけどためしに持って行ったらいけた。
地下鉄が名前変わるのは気に食わない。
「帝都高速度交通営団」の方が
昔帝都と呼ばれていたことを思い出させる、重みのある名前で
断然カッコいいと思うから。
「東京地下鉄株式会社」ってなんやねん。
そんな名前にするなら都営線と一緒にしてや。
東京メトロという名前は、米国のあの適当な運転をしている
メトロの東京版みたいな感じがするので、
非常に悪い名前だと思います。
学校着てみると
高校生やら勧誘している1、2年やらが一杯居て、本郷キャンパスが若返っていた。
図書館行って勉強した後、運動しに行って、
帰ろうとしたら、友達が車を実家から乗ってきたというので、乗せて貰った。
飯喰いに行ったり、別の友達の家行ったりした。
エントリー
2004年3月18日昼前に起きて、それから、後輩の部屋で
久しぶりにインターネット回線にありついた。
就活再開というわけで、エントリーしまくった。
といっても3社くらいか。
下書きしないで書いてそのまま送信しちまった。
久しぶりにインターネット回線にありついた。
就活再開というわけで、エントリーしまくった。
といっても3社くらいか。
下書きしないで書いてそのまま送信しちまった。
卒論発表会に行ってきた
2004年3月17日このために昨日帰国した。
自分が今年何をすればいいのか、ぼんやりと分かった。
海外旅行で2kgも激ヤセして体力が落ちているので、筋トレに行ってきた。
自分が今年何をすればいいのか、ぼんやりと分かった。
海外旅行で2kgも激ヤセして体力が落ちているので、筋トレに行ってきた。
帰国した。
2004年3月16日10日ぶりに帰国した。
その間日記を書いていなかった(海外から書くこともできたがインターネットカフェは金がかかるし、図書館は15分制限出しか使えなかったのでしなかった)
よってこれから埋めていこうと思う。
非図家変更線を超えて16日になったのは、米国を昼1時に出てから8、9時間で、日本時間の夕方4時くらいだ。
そのころは映画を見ていた。
航空会社が日本じゃないので、映画が全部英語字幕なしだったので、見ているだけで疲れるのだ。
そういうわけで、そのころにはもう映画見るのがしんどくなっていた。
で、その後2時間くらい映画を見、成田に到着した。
成田から家までがおに遠かった。
京成に1時間乗っているのがだるかったが、それでも、時間通り走るし、本数が多いから待たされないという日本の交通機関のすばらしさをかみしめた。
帰って洗濯したり、お土産あげたりして、メール見て寝ようと思ったら、ルータでネット接続を共有している友達に、
「モデム潰れたよ。」
といわれた。
というわけでこれからは毎日日記を書くことはできなそうだ。
りくナビも使えんし、就職活動も無理や。
その間日記を書いていなかった(海外から書くこともできたがインターネットカフェは金がかかるし、図書館は15分制限出しか使えなかったのでしなかった)
よってこれから埋めていこうと思う。
非図家変更線を超えて16日になったのは、米国を昼1時に出てから8、9時間で、日本時間の夕方4時くらいだ。
そのころは映画を見ていた。
航空会社が日本じゃないので、映画が全部英語字幕なしだったので、見ているだけで疲れるのだ。
そういうわけで、そのころにはもう映画見るのがしんどくなっていた。
で、その後2時間くらい映画を見、成田に到着した。
成田から家までがおに遠かった。
京成に1時間乗っているのがだるかったが、それでも、時間通り走るし、本数が多いから待たされないという日本の交通機関のすばらしさをかみしめた。
帰って洗濯したり、お土産あげたりして、メール見て寝ようと思ったら、ルータでネット接続を共有している友達に、
「モデム潰れたよ。」
といわれた。
というわけでこれからは毎日日記を書くことはできなそうだ。
りくナビも使えんし、就職活動も無理や。
また飛行機に遅れそうになった
2004年3月15日朝予定通り8時代に起き、うまいパンを食って9時半くらいににチェックアウトし、YHを出た。13時に飛行機出発で、2時間前に着けばいいから、11時到着すればよい。
地球の歩き方によると、バスで、1回乗換えで55分で空港までいけるらしいので、30分余裕があるはずだった。
日本やったら、30分も余裕あれば十分すぎですよね。
まず、バスに乗ったら、切符買おうとしたら、どういうわけか財布に5ドル以下の紙幣がなくて、米国のバスは両替機能無いから
運転手の白人のおばはんに言うと、釣りが1ドル足りないとか言われて、
1ドル高い値段で切符買わされた。
1/3も行っていないあたりで、nextis last stop とか
突然言われて、地球の歩き方のちょうど地図に載っていない辺鄙なポイントでなんかおろされた。
ここらで6日の経験を思い出したりして、ヤバイという予感がし始めた。
米国のバスのしステムはまだよくわからない。
バス停には何も書いていないので、
一緒におろされた黒人のおばあさんに、airportへはどういったらいいですかと聞いてみると、次のバスに乗ればいいと思うので、次の運転手に聞いてあげるといわれた。
この旅行に関する限り、バスの運転手はやなやつばっかだが、乗客はいい人が多い。
10分くらいで次のバスが来て、聞いたら、予定通りの乗り換えポイントまでいくらしいので、それに乗って乗り換えポイントについた。このとき10時15分くらいで、後は439路線のバスに乗るだけのはずなので、また安心した。
が、バスが来ない。
15分たってもこないのであせり始める。
30分たっても来ないので、イライラし始める。
45分たっても来ないので、乗り換えセンターまで行って、聞いたら、
10のバスに乗ってサンタモニカで乗り換えろとかいう、怪しげなプランを紹介される。
10のバス着てるのなんか見たことないぞ。
タクシーの電話番号を調べてたりしたら、439がやっと現れた。
50分も待たされた!
米国のバス停には、時刻表が貼ってない。
日本ならどんな田舎でもあるのに。
バスの中に時刻表があって、見たら、約1時間に1本しかなく、俺らがバス停に着くちょっと前に前のバスが出て行ったためだったようだった。
そのバスは、空港の近くまでちゃんと行ってくれた。
が、そこから空港のビルははるか遠くに小さく見えるだけでした。
どうやって行くねんと思った。
その辺にいたメキシコ系の人に聞いたら、英語通じないであせる。
ちょっと離れたとこに白人がいて、聞いたらシャトルバスのバス停の方向を教えてくれた。
空港まではすぐだった。
しかし空港のターミナルがたくさんありすぎてどこでとまっていいかわからないので、とりあえず最初ので降りてみて、ガードマンに聞いてみたら目的の航空会社は、そこから最も遠かった!何たる不運。
12時ちょうどくらいだった。
1時間前にチェックインしないと、搭乗できないこともあるといううわさなので、めちゃめちゃあせって、走ったが、チャリの箱が邪魔すぎた。
その辺にあったカートを使うことにした。
3ドル有料でしかも小さくておに腹が立った。
カウンターにすごい行列があって終わったかと思ったが、空港会社まで行って、その辺にいたおっさんに事情をせつめいしたら、並ばないですみ、ちゃんと飛行機に乗れたが、かなりかっこ悪かった。
飛行機の飯はうまかった。
地球の歩き方によると、バスで、1回乗換えで55分で空港までいけるらしいので、30分余裕があるはずだった。
日本やったら、30分も余裕あれば十分すぎですよね。
まず、バスに乗ったら、切符買おうとしたら、どういうわけか財布に5ドル以下の紙幣がなくて、米国のバスは両替機能無いから
運転手の白人のおばはんに言うと、釣りが1ドル足りないとか言われて、
1ドル高い値段で切符買わされた。
1/3も行っていないあたりで、nextis last stop とか
突然言われて、地球の歩き方のちょうど地図に載っていない辺鄙なポイントでなんかおろされた。
ここらで6日の経験を思い出したりして、ヤバイという予感がし始めた。
米国のバスのしステムはまだよくわからない。
バス停には何も書いていないので、
一緒におろされた黒人のおばあさんに、airportへはどういったらいいですかと聞いてみると、次のバスに乗ればいいと思うので、次の運転手に聞いてあげるといわれた。
この旅行に関する限り、バスの運転手はやなやつばっかだが、乗客はいい人が多い。
10分くらいで次のバスが来て、聞いたら、予定通りの乗り換えポイントまでいくらしいので、それに乗って乗り換えポイントについた。このとき10時15分くらいで、後は439路線のバスに乗るだけのはずなので、また安心した。
が、バスが来ない。
15分たってもこないのであせり始める。
30分たっても来ないので、イライラし始める。
45分たっても来ないので、乗り換えセンターまで行って、聞いたら、
10のバスに乗ってサンタモニカで乗り換えろとかいう、怪しげなプランを紹介される。
10のバス着てるのなんか見たことないぞ。
タクシーの電話番号を調べてたりしたら、439がやっと現れた。
50分も待たされた!
米国のバス停には、時刻表が貼ってない。
日本ならどんな田舎でもあるのに。
バスの中に時刻表があって、見たら、約1時間に1本しかなく、俺らがバス停に着くちょっと前に前のバスが出て行ったためだったようだった。
そのバスは、空港の近くまでちゃんと行ってくれた。
が、そこから空港のビルははるか遠くに小さく見えるだけでした。
どうやって行くねんと思った。
その辺にいたメキシコ系の人に聞いたら、英語通じないであせる。
ちょっと離れたとこに白人がいて、聞いたらシャトルバスのバス停の方向を教えてくれた。
空港まではすぐだった。
しかし空港のターミナルがたくさんありすぎてどこでとまっていいかわからないので、とりあえず最初ので降りてみて、ガードマンに聞いてみたら目的の航空会社は、そこから最も遠かった!何たる不運。
12時ちょうどくらいだった。
1時間前にチェックインしないと、搭乗できないこともあるといううわさなので、めちゃめちゃあせって、走ったが、チャリの箱が邪魔すぎた。
その辺にあったカートを使うことにした。
3ドル有料でしかも小さくておに腹が立った。
カウンターにすごい行列があって終わったかと思ったが、空港会社まで行って、その辺にいたおっさんに事情をせつめいしたら、並ばないですみ、ちゃんと飛行機に乗れたが、かなりかっこ悪かった。
飛行機の飯はうまかった。
最後の遊べる日だった。
2004年3月14日朝起きるのが遅かったのでYHの飯が食えなかったので、ホットドッグ屋に行ってホットドッグとポテトとレモネードいうアメリカンな最悪な飯を食べた。
結構うまかった。
ハリウッドの店屋をその後は見て回った。
軍物売ってる店がちょっと面白かったが他は特に心惹かれなかったので、フリマにいくことにした。
行く途中におに安い古着屋があって、ちょこっとみた。
学生と黒人とメキシコ系しかいなかった。
その跡に、ガイドブックに載ってる、1着1ドルの古着屋に行ってみると、一応ガイドに載ってるからか、日本人も少しいた。
その後、メルローズに行ってみると、地球の歩き方にものっているためか、日本人がおにのように一杯いた。
なんか店員まで日本人がいるし、異様だった。
で、なんかそのあたりでだるくなったので、フリマ行くのやめて、帰ることにした。
帰り際に、1着1ドルの店と、おに安い店で、1、2、3ドルの古着シャツとかを買ってYHに戻った。
その後、ハリウッドで適当に4着10ドルの普通の新品シャツもかって、リーバイスの店に行って28ドルでジーパンを買って、中華料理屋で4ドルで飯食って帰った。
中華料理屋でピーマンと間違ってなんか辛いものを食ってしまって、waterpleaseを3回くらい言ってしまった。
帰る途中に、CDウォークマンを持っている黒人さんがいて、目が合ったら、聞かないか?Im musisianといわれ、
暇だったので聞いてみたらラップだった。
で、聞いてたら、買わないかと言われ、
まあうまかったし、頑張ってるみたいなので3ドルでCD(パソコンでつくったと思われるやつ)を買った。
で、これはこれ系の人と話すいい機会だと思って、
どこに住んでいるの?と聞いたらダウンタウンって言われた。
やっぱりという感じだ。
どうやってここに来たの?と聞いたら、metroっていわれた。
またまたやっぱりという感じだ。
で、いつも思っていたことだが、ちゃんと切符買って乗ってる?ときいてみたら、Yesといわれたので、
みんな切符かって乗ってるの?と聞いたら、みんな切符買ってるって言うてた。
どうなんだろうか。これだけは予想と違った。
レコーディングはハリウッドにスタジオがあってやっているとか、今webサイトを作っているとかいろいろとそのほかにも話を聞いた。
アメリカ来て、興味深いのは、いろんな人種がいるが、一番は黒人さんだ。
彼らが、一番日本にはない、日本人にはまねできないいい物を持っていると思う。
すごい白人やメキシコ人を見ていないからかもしれないけど。
ビバリーヒルズ行ったり、メキシコシティとか行ったらまた考えが変わるかもしれない。
テレビでロードオブザリングをやっていて、泊まってる外人さんはみんなそれを見ていたが、途中からでわけわかんないので部屋に戻ってさっさと寝た。
結構うまかった。
ハリウッドの店屋をその後は見て回った。
軍物売ってる店がちょっと面白かったが他は特に心惹かれなかったので、フリマにいくことにした。
行く途中におに安い古着屋があって、ちょこっとみた。
学生と黒人とメキシコ系しかいなかった。
その跡に、ガイドブックに載ってる、1着1ドルの古着屋に行ってみると、一応ガイドに載ってるからか、日本人も少しいた。
その後、メルローズに行ってみると、地球の歩き方にものっているためか、日本人がおにのように一杯いた。
なんか店員まで日本人がいるし、異様だった。
で、なんかそのあたりでだるくなったので、フリマ行くのやめて、帰ることにした。
帰り際に、1着1ドルの店と、おに安い店で、1、2、3ドルの古着シャツとかを買ってYHに戻った。
その後、ハリウッドで適当に4着10ドルの普通の新品シャツもかって、リーバイスの店に行って28ドルでジーパンを買って、中華料理屋で4ドルで飯食って帰った。
中華料理屋でピーマンと間違ってなんか辛いものを食ってしまって、waterpleaseを3回くらい言ってしまった。
帰る途中に、CDウォークマンを持っている黒人さんがいて、目が合ったら、聞かないか?Im musisianといわれ、
暇だったので聞いてみたらラップだった。
で、聞いてたら、買わないかと言われ、
まあうまかったし、頑張ってるみたいなので3ドルでCD(パソコンでつくったと思われるやつ)を買った。
で、これはこれ系の人と話すいい機会だと思って、
どこに住んでいるの?と聞いたらダウンタウンって言われた。
やっぱりという感じだ。
どうやってここに来たの?と聞いたら、metroっていわれた。
またまたやっぱりという感じだ。
で、いつも思っていたことだが、ちゃんと切符買って乗ってる?ときいてみたら、Yesといわれたので、
みんな切符かって乗ってるの?と聞いたら、みんな切符買ってるって言うてた。
どうなんだろうか。これだけは予想と違った。
レコーディングはハリウッドにスタジオがあってやっているとか、今webサイトを作っているとかいろいろとそのほかにも話を聞いた。
アメリカ来て、興味深いのは、いろんな人種がいるが、一番は黒人さんだ。
彼らが、一番日本にはない、日本人にはまねできないいい物を持っていると思う。
すごい白人やメキシコ人を見ていないからかもしれないけど。
ビバリーヒルズ行ったり、メキシコシティとか行ったらまた考えが変わるかもしれない。
テレビでロードオブザリングをやっていて、泊まってる外人さんはみんなそれを見ていたが、途中からでわけわかんないので部屋に戻ってさっさと寝た。
44マグナムの反動はすごかった。
2004年3月13日朝起きて、とりあえず、ダウンタウンで飯食って、
昨日いけなかった射撃場へ向かった。
ダウンタウンから直接射撃場に向かったのは間違いだった。
途中の町は、魔界みたいな状態で、乞食がたくさん徘徊していた。
黒人の乞食と黒人の不良さん?しかいない、真っ黒な公園があって、hey guysとか言われたけど、絶対に停車してはいけないと思った。
射撃場では、オートマチックで38口径の玉をパンパンパンとやったあと、リボルバーで44マグナムボンボンボンとやり、
ライフルもやってみた。
44マグナムは反動が凄く、銃自体が重いので手ぶれで結構弾痕はばらついたが、
これでわかったのは、
銃は、
たとえ44マグナムでも、
素人がやっても全然当たります!
10mくらいの距離なら、打ち手に照準を見る余裕さえあれば間違いなく胴体のどこかにはあたります。
44マグナムなら一発で致命傷、オートマチックなら、連射できるので間違いなく死ぬでしょう。
まずないとは思いますが、銃を向けられた時に自分が停止していたら即殺されるということがわかりました。
その後、ファッションディストリクトとやらに行ってみたけれど、土曜でめちゃめちゃ人が多くて、店も、おもしろいけれどほしいものは無いという感じだったので、帰った。
そしたら友達のチャリがまたしてもパンクして、どうも今もって要る道具では修理しきれないようなので、チャリやにいくことになった。調べたらかなり遠かったので、俺のチャリを貸した。
その間俺は暇だったので、union駅とか、オルベラ街とか見てきた。
で、宿に行こうかという話になって、電話したら、fullばっかりで、安くて便利なところは前に泊まったところしか空いてなかったので、また前泊まったところに行くことになった。
夜、ビリヤードをやろうとしたら、
そばにいた黒人さんが対戦しようといってきたので対戦してみたが、やはりめちゃめちゃうまい。
それで教えてもらうことになり、
黒人さんに習っていたら、
なんと海苔を食い始めたので、do you like nori?
と聞いてみたら、
「オイシイヨ」
と日本語を話した。
日本語を勉強しているらしい。
1時過ぎまでビリヤードしてねた。
昨日いけなかった射撃場へ向かった。
ダウンタウンから直接射撃場に向かったのは間違いだった。
途中の町は、魔界みたいな状態で、乞食がたくさん徘徊していた。
黒人の乞食と黒人の不良さん?しかいない、真っ黒な公園があって、hey guysとか言われたけど、絶対に停車してはいけないと思った。
射撃場では、オートマチックで38口径の玉をパンパンパンとやったあと、リボルバーで44マグナムボンボンボンとやり、
ライフルもやってみた。
44マグナムは反動が凄く、銃自体が重いので手ぶれで結構弾痕はばらついたが、
これでわかったのは、
銃は、
たとえ44マグナムでも、
素人がやっても全然当たります!
10mくらいの距離なら、打ち手に照準を見る余裕さえあれば間違いなく胴体のどこかにはあたります。
44マグナムなら一発で致命傷、オートマチックなら、連射できるので間違いなく死ぬでしょう。
まずないとは思いますが、銃を向けられた時に自分が停止していたら即殺されるということがわかりました。
その後、ファッションディストリクトとやらに行ってみたけれど、土曜でめちゃめちゃ人が多くて、店も、おもしろいけれどほしいものは無いという感じだったので、帰った。
そしたら友達のチャリがまたしてもパンクして、どうも今もって要る道具では修理しきれないようなので、チャリやにいくことになった。調べたらかなり遠かったので、俺のチャリを貸した。
その間俺は暇だったので、union駅とか、オルベラ街とか見てきた。
で、宿に行こうかという話になって、電話したら、fullばっかりで、安くて便利なところは前に泊まったところしか空いてなかったので、また前泊まったところに行くことになった。
夜、ビリヤードをやろうとしたら、
そばにいた黒人さんが対戦しようといってきたので対戦してみたが、やはりめちゃめちゃうまい。
それで教えてもらうことになり、
黒人さんに習っていたら、
なんと海苔を食い始めたので、do you like nori?
と聞いてみたら、
「オイシイヨ」
と日本語を話した。
日本語を勉強しているらしい。
1時過ぎまでビリヤードしてねた。
サンディエゴは綺麗な町で
2004年3月10日今日も、友達とは行きたい所が一致しなかったので
友達とは別行動って事になってて、俺はティファナ行きのバスに乗った。往復切符を買っていたので金はかからず。
ティファナの騒々しさにはもう慣れきっていたが、そういえば観光してないなと思い、ティファナ市街に入り地図を見ると、前にティファナに来た時オレゴンからきたという白人のお爺さんが市場を見に行く事をお勧めしていた事を思い出した。
腹が減っていたが、定食屋に行くほどリッチな気分じゃなかったので(こっちに来てから金銭感覚がよくわからなくなっている。日本だったらこれくらい腹が減っていたら650円くらいの定食屋ならいくだろう)
市場の傍のタコス屋に入り、約2ドルのタコスを食べた。こっちの食い物は水が無いと食えないので、水も買って約3ドル出費。
市場はまあまあおもしろかった。
食い物が多くて、色々買ってみたかったが、荷物が増えるのは嫌なので
、その場で食えない食べ物は買わなかった。
市場は町の観光的なあたり(土産物屋や風俗店のならぶ街)から離れており、行く途中、戻る途中にティファナの普通の人々の暮らしを
垣間見る事が出来た。
ヨーロピアンな建物な学校から出てくる高校生(めちゃくちゃ可愛い子もいる。メキシコは美人多いと思う。というか、純粋な白人じゃないから日本人に近い。一緒にロスからバスに乗ってきたにいちゃんは、わざわざメキシコまで女を買いに来ていたくらいだし。)や、車を修理屋みたいな店でゆっくりと仕事する若いにいちゃん、交差点で止まっている車の前に行ってに氷で冷やしたコーラを売りつけるおっさん、
スーパーで働くおばちゃん。
また土産物街を通った。ここでは何も買うつもりがなかったのだが、メキシコをもう去るかと思うと、一応見るだけ見てみようかという気にもなって店とか見てしまった。
銀のネックレスをやたら売りつけてくる兄ちゃんにつかまってしまったので、一つどこまで安くなるのか交渉してみると、なんと3ドルにまで
安くなったので買ってみた。
(原宿とかで売ってそうなやつ)
ティファナを後にするとき、アメリカとメキシコをわける陸橋からメキシコノぼろっちい町並みを眺めつつ、チャちいみやげ物を売りつけようとするウザイおっさんに激しく品物を進められつつ、このウザサを
経験する事もしばらく無いんだろうと思いつつつつ
もう一回メキシコに来たいと思った。
今度は南の方のメキシコに行ってみたい。
国境の検問所みたいなのの列に並ぼうとすると、何か日本人の女子大生グループ見たいなのを目撃した。メキシコでは日本人なんか殆ど見なかったのでちょっと懐かしい。(ロスには、特にハリウッドとか沢山いる)検問所を通る時一緒になったので
日本人ですか?と聞いてみたら
めっちゃ色々話聞かれた。
俺が旅なれたバックパッカ-に見えたらしい。
海岸を歩いたり、荒地を歩いたりして日焼けしてて、服はボロいTシャツで、髭はそってなくて、確かに雰囲気はあったけど、
実際はメキシコには4日滞在しただけです。
彼女らはサンディエゴにホームステイに来ていて、たまたまちょっと時間があったので国境にちょこっと来てみただけで、ティファナ市街にはいっていないらしい。
だから当然、「乞食にも会っていなくて、ボロい町並みを見たり、タコスの匂いを嗅いでもいない」
という事だ。
せっかくここまで来ておいてそれはもったいなすぎる。
今すぐティファナに引き返しなさいと言ったのだが、
ホームステイも色々ややこしいみたいで、自由な時間はあんまないらしく、もうサンディエゴに帰らないといけないらしい。
今からどうされるんですか?といわれたので、
NO PLANですね。今日はとりあえずサンディエゴでもぶらぶらして今日はサンディエゴのどっかで一泊しようかな。と言うと、「物凄いいいかげんやなあ」
みたいに驚かれた。
何から何までお世話してくれるリッチなホームステイをしているお嬢様たちと、俺達とは感覚のずれが相当に生まれているようだ。
トロリーに乗ると言うので、俺もそれが一番安いぽいのでとりあえず乗った。サンディエゴについては何も知らないので
詳しそうな彼女らについていくのがよさそうだし。
彼女らは、ホストファミリーと夕食に出かけますわという2人と、オールドタウンを観光してホストファミリーの所にもどりますわと言う2人に分かれていて、オールドタウン見にいかれませんか?と誘われたので
見に行く事にした。俺はサンディエゴで見る物は軍港しか思いつかなかったのでそれは明日という事にして、特に予定もないしどうしても行きたい所も無いので彼女らについていく事にした。
オールドタウンでは彼女らについていっただけなので普通の観光みたいなのをした。町をぶらぶらし、可愛いものを売ってる店でショッピング。俺も小さなお土産を買った。
こういう普通な観光が逆に新鮮だった。なんせ昨日は荒野をサボテンを求めて歩いていたからなあ。
街には小奇麗な店といい感じのカフェが並んでいた。
日が傾いてきたのでロンプラに載っているYHに電話してみると部屋空いているということなので、
ダウンタウンにはどうやって行くかを調べ、
郊外のホストファミリーの家に向う彼女らと別れ、ダウンタウンへ。
YHの回りは、オープンカフェやお洒落なレストランが並ぶ綺麗な街だった。
なんかサンディエゴは綺麗な人が多かった。
レストランの受付嬢とか、綺麗でめっちゃ愛想がいいし。
日本とはレベルが違う。
ロスはモンスターばっかりだったので、アメリカはモンスターばかりと思っていたが、そうでもないんだという発見。
YHは、結構綺麗。
受付に行って、泊まる手続きをした後、
今となってはなんだったか忘れたが、ちょっとしたことを質問しようとしたが、(多分前のユースホすれるでは朝飯が出たがこのユースホステルではどうなのかとか、そんなレベルの事)
英語が上手く伝わらなかったら、おっちゃんが、隣の部屋を掃除していた、東洋系のホームレスみたいな風貌の人間を呼びつけた。
俺は中国かベトナム系と思っていたが、そいつになんか英語で日本人だから日本語で相手してやってくれとそいつに頼みこんだ。
そうすると突然そいつは日本語を話し始め、
日本人やったんや!
とびっくししつつも、こういう事をちょっとホテルのおっさんに聞いてみたかったというと、そいつは彼はこういうことがいいたかったみたいですよとホテルのおっさんに説明してくれた。
その時、英語が全然出来ない日本人かのようなめちゃくちゃ馬鹿にされたような説明をされてちょっとむかつきつつも、
こんな三十近くになってユースホステルで不法労働しているようなわけわかんない日本人よりも日常会話力が無い自分が情けなくなった。
飯を食いに外に出たが、ここはダウンタウンで、飯屋は高いのばっかり!
どんなに受付の可愛いおねいちゃんに誘われても、15ドルとか無理っす。
中華料理屋を発見。8ドルくらいで食べれたのでそうした。
今回は、俺が日本人だと言っても、おっちゃんはめっちゃ愛想よくて、
観光に来たのか?とか、学生か?とか色々聞かれた。
おっちゃんはアメリカに来て30年くらい経つらしい。
ジャスミン茶が1ドル以上する事を忘れて、また
teaを飲むか?と言われて yes pleaseとまたミスってしまった。
こんどこそ水でかまわないと言おうと思う。
飯食ってYHに戻った。
テレビちょっと見て、
テレビ部屋でちょっと金髪ガールと喋った。
ドイツから来たとか言っていて。めちゃ可愛かった。
シャワー使って、直ぐ寝た。
部屋はヨーロッパとか東部のアメリカ人とか、外人ばっかりのようで、(なんか名前と出身地を…
友達とは別行動って事になってて、俺はティファナ行きのバスに乗った。往復切符を買っていたので金はかからず。
ティファナの騒々しさにはもう慣れきっていたが、そういえば観光してないなと思い、ティファナ市街に入り地図を見ると、前にティファナに来た時オレゴンからきたという白人のお爺さんが市場を見に行く事をお勧めしていた事を思い出した。
腹が減っていたが、定食屋に行くほどリッチな気分じゃなかったので(こっちに来てから金銭感覚がよくわからなくなっている。日本だったらこれくらい腹が減っていたら650円くらいの定食屋ならいくだろう)
市場の傍のタコス屋に入り、約2ドルのタコスを食べた。こっちの食い物は水が無いと食えないので、水も買って約3ドル出費。
市場はまあまあおもしろかった。
食い物が多くて、色々買ってみたかったが、荷物が増えるのは嫌なので
、その場で食えない食べ物は買わなかった。
市場は町の観光的なあたり(土産物屋や風俗店のならぶ街)から離れており、行く途中、戻る途中にティファナの普通の人々の暮らしを
垣間見る事が出来た。
ヨーロピアンな建物な学校から出てくる高校生(めちゃくちゃ可愛い子もいる。メキシコは美人多いと思う。というか、純粋な白人じゃないから日本人に近い。一緒にロスからバスに乗ってきたにいちゃんは、わざわざメキシコまで女を買いに来ていたくらいだし。)や、車を修理屋みたいな店でゆっくりと仕事する若いにいちゃん、交差点で止まっている車の前に行ってに氷で冷やしたコーラを売りつけるおっさん、
スーパーで働くおばちゃん。
また土産物街を通った。ここでは何も買うつもりがなかったのだが、メキシコをもう去るかと思うと、一応見るだけ見てみようかという気にもなって店とか見てしまった。
銀のネックレスをやたら売りつけてくる兄ちゃんにつかまってしまったので、一つどこまで安くなるのか交渉してみると、なんと3ドルにまで
安くなったので買ってみた。
(原宿とかで売ってそうなやつ)
ティファナを後にするとき、アメリカとメキシコをわける陸橋からメキシコノぼろっちい町並みを眺めつつ、チャちいみやげ物を売りつけようとするウザイおっさんに激しく品物を進められつつ、このウザサを
経験する事もしばらく無いんだろうと思いつつつつ
もう一回メキシコに来たいと思った。
今度は南の方のメキシコに行ってみたい。
国境の検問所みたいなのの列に並ぼうとすると、何か日本人の女子大生グループ見たいなのを目撃した。メキシコでは日本人なんか殆ど見なかったのでちょっと懐かしい。(ロスには、特にハリウッドとか沢山いる)検問所を通る時一緒になったので
日本人ですか?と聞いてみたら
めっちゃ色々話聞かれた。
俺が旅なれたバックパッカ-に見えたらしい。
海岸を歩いたり、荒地を歩いたりして日焼けしてて、服はボロいTシャツで、髭はそってなくて、確かに雰囲気はあったけど、
実際はメキシコには4日滞在しただけです。
彼女らはサンディエゴにホームステイに来ていて、たまたまちょっと時間があったので国境にちょこっと来てみただけで、ティファナ市街にはいっていないらしい。
だから当然、「乞食にも会っていなくて、ボロい町並みを見たり、タコスの匂いを嗅いでもいない」
という事だ。
せっかくここまで来ておいてそれはもったいなすぎる。
今すぐティファナに引き返しなさいと言ったのだが、
ホームステイも色々ややこしいみたいで、自由な時間はあんまないらしく、もうサンディエゴに帰らないといけないらしい。
今からどうされるんですか?といわれたので、
NO PLANですね。今日はとりあえずサンディエゴでもぶらぶらして今日はサンディエゴのどっかで一泊しようかな。と言うと、「物凄いいいかげんやなあ」
みたいに驚かれた。
何から何までお世話してくれるリッチなホームステイをしているお嬢様たちと、俺達とは感覚のずれが相当に生まれているようだ。
トロリーに乗ると言うので、俺もそれが一番安いぽいのでとりあえず乗った。サンディエゴについては何も知らないので
詳しそうな彼女らについていくのがよさそうだし。
彼女らは、ホストファミリーと夕食に出かけますわという2人と、オールドタウンを観光してホストファミリーの所にもどりますわと言う2人に分かれていて、オールドタウン見にいかれませんか?と誘われたので
見に行く事にした。俺はサンディエゴで見る物は軍港しか思いつかなかったのでそれは明日という事にして、特に予定もないしどうしても行きたい所も無いので彼女らについていく事にした。
オールドタウンでは彼女らについていっただけなので普通の観光みたいなのをした。町をぶらぶらし、可愛いものを売ってる店でショッピング。俺も小さなお土産を買った。
こういう普通な観光が逆に新鮮だった。なんせ昨日は荒野をサボテンを求めて歩いていたからなあ。
街には小奇麗な店といい感じのカフェが並んでいた。
日が傾いてきたのでロンプラに載っているYHに電話してみると部屋空いているということなので、
ダウンタウンにはどうやって行くかを調べ、
郊外のホストファミリーの家に向う彼女らと別れ、ダウンタウンへ。
YHの回りは、オープンカフェやお洒落なレストランが並ぶ綺麗な街だった。
なんかサンディエゴは綺麗な人が多かった。
レストランの受付嬢とか、綺麗でめっちゃ愛想がいいし。
日本とはレベルが違う。
ロスはモンスターばっかりだったので、アメリカはモンスターばかりと思っていたが、そうでもないんだという発見。
YHは、結構綺麗。
受付に行って、泊まる手続きをした後、
今となってはなんだったか忘れたが、ちょっとしたことを質問しようとしたが、(多分前のユースホすれるでは朝飯が出たがこのユースホステルではどうなのかとか、そんなレベルの事)
英語が上手く伝わらなかったら、おっちゃんが、隣の部屋を掃除していた、東洋系のホームレスみたいな風貌の人間を呼びつけた。
俺は中国かベトナム系と思っていたが、そいつになんか英語で日本人だから日本語で相手してやってくれとそいつに頼みこんだ。
そうすると突然そいつは日本語を話し始め、
日本人やったんや!
とびっくししつつも、こういう事をちょっとホテルのおっさんに聞いてみたかったというと、そいつは彼はこういうことがいいたかったみたいですよとホテルのおっさんに説明してくれた。
その時、英語が全然出来ない日本人かのようなめちゃくちゃ馬鹿にされたような説明をされてちょっとむかつきつつも、
こんな三十近くになってユースホステルで不法労働しているようなわけわかんない日本人よりも日常会話力が無い自分が情けなくなった。
飯を食いに外に出たが、ここはダウンタウンで、飯屋は高いのばっかり!
どんなに受付の可愛いおねいちゃんに誘われても、15ドルとか無理っす。
中華料理屋を発見。8ドルくらいで食べれたのでそうした。
今回は、俺が日本人だと言っても、おっちゃんはめっちゃ愛想よくて、
観光に来たのか?とか、学生か?とか色々聞かれた。
おっちゃんはアメリカに来て30年くらい経つらしい。
ジャスミン茶が1ドル以上する事を忘れて、また
teaを飲むか?と言われて yes pleaseとまたミスってしまった。
こんどこそ水でかまわないと言おうと思う。
飯食ってYHに戻った。
テレビちょっと見て、
テレビ部屋でちょっと金髪ガールと喋った。
ドイツから来たとか言っていて。めちゃ可愛かった。
シャワー使って、直ぐ寝た。
部屋はヨーロッパとか東部のアメリカ人とか、外人ばっかりのようで、(なんか名前と出身地を…
砂漠を歩いてみた
2004年3月9日ホテルを知られているのがなんか嫌だったし、朝起きたら、このホテルはいいホテルだが、別のホテルを探す事にした。
ぼろいとこにも泊まってみようか、ということでちょっとぼろいとこをとってみる。14ドル。3ドルしか安くなってない。やはり昨日のは相当いいホテルだったんだろう。
地球の歩き方とかにお勧めしたい。ruizホテルだったかな。ttp://ensenada.baja.com/maps/touristmap.html 参照。
ruiz通りのあたりにある。
またあの上手いタコスを食った後、友達はホエールウォッチングに行きたいそうだが、(安かったらしい。日本で行くよりだいぶお得)
俺は余り興味ないので、別行動する事にした。
昨日の反省より、お互いに、安全に行動する事と、昨日のような心配は申したくないので、変なとこ行っても知らないし、探したりしない。
という事を確認し、俺は山の方へ行ってみた。
メインの通りでは、北から来た
熊みたいなアメリカ人がハーレーから降りて、タコスを沢山食っていた。
絵になっていた。
ハーレーはこういうところで乗るものだと思った。
山の方へ行くと、ぼろい家が目立つ。
斜面に住んでいるのは、貧乏な人なんだろう。
ちょっと怖くなったが、アメリカ人も歩いていたので(奴らを襲うのも俺を襲うのもえられる金は変わらないだろう)ちょっと安心して
一番丘の上に行ってみると荒野が広がっていた。
普通にサボテンが雑草のように生えている。
紺屋に入っていき、海際の方へ行くと、そこから先は断崖絶壁となり、その下は海という物凄く綺麗なところになった。
そのあたりに汚い小屋があって、チラッと見るとなんとホームレスっぽい人がいる。
ブエナスタルデス!というと、元気にブエナスタルデス!と帰ってきた。ややこしい事にはならなそうなきがした。
そのままそのへんの景色を堪能し、町に戻ると夕方だった。明日はアメリカに帰るのでお土産を買う事にした。
ここが今回の旅で最も物価が安そうだからである。
かなり買った。
ホテルに帰ると友達がいた。
船が小さくて揺れすぎて大変だったらしい。
その後、町の中心ではなさそうな所に言ってみようってことになり、
はずれの方に歩いて言った。
途中めちゃ上手そうなタコスの店があったので頼むと、一つ50円でめちゃうまかった。
材料はなんかよくわからない肉。(スパイス効きまくりなのとカリカリになっててよくわからないのと、この辺はいろんな動物が飼われていてヤギとか馬とかマイナーな肉の可能性もあるから)
結局米食いたいなって話になり、中華料理屋に入ってみた。
かなり客少ないので失敗したかと思った。
注文の時、俺の友達は中国語選択なので中国語で結構喋っていた。
しかし、親父がかなり無愛想。
なんか顔怖いし。
(海外の中国人は、昔に中国を離れた人もいて、その中には、日本に対し非常に敵意をもっている人もいます)
というのを思い出した。
メキシコ人のウエイトレスはやたらニコニコと愛想良くて、おやじと物凄く対照的。かわいいし当然チップをはずむ。
セットみたいなのを頼むと色んな料理がでてきて、量が多すぎ。
そして味はボケてて不味いので苦痛。かなり失敗。
わざとあの親父不味く作ったのじゃないかと思い始める。
俺達が日本人と分かってるくせに箸を頼むまで持ってこないし。嫌がらせか。箸で食い始めると、メキシコ人のウエイトレスは何かめっちゃ嬉しそうに見てる。
お茶はいかがか?といわれたので頼む。
そういやこの町アジア人一回も見てない。珍しいのだろうか?
量が多すぎて不味いので残したら、もって帰るか?と容器をもってきてくれたので、一応持って帰ることにした。
伝票を見ると、お茶代とあり、結構高い。
こっちで中華料理屋でお茶はただではない事を忘れていた!!
日本のお茶はタダという感覚は、世界ではかなり特殊なようだ。
ホテルで買える途中、やっぱこの料理まずいし、明日まで冷蔵庫ないから甥と帰宅ないし、どうしようって話になり、
けっこうそのへんにいる乞食に上げようって話になり、
あげたかどうだか忘れたが、ホテルに戻って寝た。
使ったお金 ホテル14 飯14 お土産50 計78ドル
ぼろいとこにも泊まってみようか、ということでちょっとぼろいとこをとってみる。14ドル。3ドルしか安くなってない。やはり昨日のは相当いいホテルだったんだろう。
地球の歩き方とかにお勧めしたい。ruizホテルだったかな。ttp://ensenada.baja.com/maps/touristmap.html 参照。
ruiz通りのあたりにある。
またあの上手いタコスを食った後、友達はホエールウォッチングに行きたいそうだが、(安かったらしい。日本で行くよりだいぶお得)
俺は余り興味ないので、別行動する事にした。
昨日の反省より、お互いに、安全に行動する事と、昨日のような心配は申したくないので、変なとこ行っても知らないし、探したりしない。
という事を確認し、俺は山の方へ行ってみた。
メインの通りでは、北から来た
熊みたいなアメリカ人がハーレーから降りて、タコスを沢山食っていた。
絵になっていた。
ハーレーはこういうところで乗るものだと思った。
山の方へ行くと、ぼろい家が目立つ。
斜面に住んでいるのは、貧乏な人なんだろう。
ちょっと怖くなったが、アメリカ人も歩いていたので(奴らを襲うのも俺を襲うのもえられる金は変わらないだろう)ちょっと安心して
一番丘の上に行ってみると荒野が広がっていた。
普通にサボテンが雑草のように生えている。
紺屋に入っていき、海際の方へ行くと、そこから先は断崖絶壁となり、その下は海という物凄く綺麗なところになった。
そのあたりに汚い小屋があって、チラッと見るとなんとホームレスっぽい人がいる。
ブエナスタルデス!というと、元気にブエナスタルデス!と帰ってきた。ややこしい事にはならなそうなきがした。
そのままそのへんの景色を堪能し、町に戻ると夕方だった。明日はアメリカに帰るのでお土産を買う事にした。
ここが今回の旅で最も物価が安そうだからである。
かなり買った。
ホテルに帰ると友達がいた。
船が小さくて揺れすぎて大変だったらしい。
その後、町の中心ではなさそうな所に言ってみようってことになり、
はずれの方に歩いて言った。
途中めちゃ上手そうなタコスの店があったので頼むと、一つ50円でめちゃうまかった。
材料はなんかよくわからない肉。(スパイス効きまくりなのとカリカリになっててよくわからないのと、この辺はいろんな動物が飼われていてヤギとか馬とかマイナーな肉の可能性もあるから)
結局米食いたいなって話になり、中華料理屋に入ってみた。
かなり客少ないので失敗したかと思った。
注文の時、俺の友達は中国語選択なので中国語で結構喋っていた。
しかし、親父がかなり無愛想。
なんか顔怖いし。
(海外の中国人は、昔に中国を離れた人もいて、その中には、日本に対し非常に敵意をもっている人もいます)
というのを思い出した。
メキシコ人のウエイトレスはやたらニコニコと愛想良くて、おやじと物凄く対照的。かわいいし当然チップをはずむ。
セットみたいなのを頼むと色んな料理がでてきて、量が多すぎ。
そして味はボケてて不味いので苦痛。かなり失敗。
わざとあの親父不味く作ったのじゃないかと思い始める。
俺達が日本人と分かってるくせに箸を頼むまで持ってこないし。嫌がらせか。箸で食い始めると、メキシコ人のウエイトレスは何かめっちゃ嬉しそうに見てる。
お茶はいかがか?といわれたので頼む。
そういやこの町アジア人一回も見てない。珍しいのだろうか?
量が多すぎて不味いので残したら、もって帰るか?と容器をもってきてくれたので、一応持って帰ることにした。
伝票を見ると、お茶代とあり、結構高い。
こっちで中華料理屋でお茶はただではない事を忘れていた!!
日本のお茶はタダという感覚は、世界ではかなり特殊なようだ。
ホテルで買える途中、やっぱこの料理まずいし、明日まで冷蔵庫ないから甥と帰宅ないし、どうしようって話になり、
けっこうそのへんにいる乞食に上げようって話になり、
あげたかどうだか忘れたが、ホテルに戻って寝た。
使ったお金 ホテル14 飯14 お土産50 計78ドル
さらに南へ
2004年3月8日起きたら10時くらいで、とりあえず、宿のおっちゃんのオススメの店で朝飯食う事になった。
パンとか、スープとかは旨かったけど、ジュースは、甘すぎて駄目だった。パパイヤジュースは止めたほうがいいです。
となりで、白人のじいさんが飯食ってて、オレゴン州から来たと言っていた。
友達が興味持って、ネックレス屋で、また値引き交渉をした。
つい買ってしまったが、後で考えたら、高すぎた。
ティファナは余りにも国境の町過ぎて、メキシコな感じがしないので、さらに南へ行く事にしたので、
バス停に行くと、往復切符があって、往復11ドルと、おに安かった。
バスは、日本の観光バスみたいな、まあ普通のいいバスだった。
で、こうしてカリフォルニア半島を南下し始めたのだが、
バスから見れる景色が、すばらしすぎた。
日本には絶対に無い景色だった。
海岸では、ひたすら続く、殆ど人のいないビーチ。
山側は、荒野で、
乾燥に適応した
サボテン系の植物が生えている。
ところどころで馬を飼っているけれども、牧場には見えない、なんだかよくわからない家があった。
物凄く低い雲や、難化色んなおもしろい物が見れた。
エンセナダと言う町に到着すると、いきなり前に屋台とか、野菜を売っているところとかがあって、
メキシコらしかった。
ドルが通じるか不安だったのでとりあえずペソを作る事にした。
両替屋の親父に
どういうわけかスペインからきたのか?っていわれた。
ちなみに、銀行とかで両替するより、両替屋で両替した方が安い。
どういうわけなんだろうか。
ホテルを決め、町を歩いてみる。
タコスの屋台がここでもあった。
ココのタコスはpescado(魚)とcarne(エビ)があった。
さすが港町だと思った。
めちゃめちゃうまかった!!!
かなりお勧めです。
日本に帰ってきても味を思い出して食いたいと時々思う。
サンディエゴに帰ってきてロンリープラネットメキシを見て知ったが、有名らしかった。その後、町をぶらぶらしてみるが、
俺の持っているガイドブック、ロンプラカリフォルニアにはティファナまでしかかかれていないので、この町の情報は何もない。
と言うわけで地図を買いに本屋へ。
本屋では英語通じまくりで、しかもおっちゃんが親切で、色々教えてくれた。
一応メキシこは紀伊国屋で見た本によるとデンジャラス度5つ星だったので、どこがデンジャラスゾーンか?と聞いて、ぶらぶらした。
海のほうに行ってみる事にした。
なんか港にアシカがいる。
ちょっとサボテンとか見たいから西の方にいってみようってことになって、海岸を歩いた。
道端には砂漠的な植物が生えている。
海に沈む夕日がめちゃくちゃ美しかった。
で、暗くなったので帰ろうとするとき、道が2つに分かれているところでこっちからも帰れるのかな?とか言ってたら、
親切な若い2人の男が、そっちへ行くと港に行くだけで、街へは戻れないと教えてくれた。
やたら親切に教えてくれた。
どこから来たかと言われたので、最初はアメリカと答えていたが、話が盛り上がって、僕達は日本と言ってしまった。
そして一人のメキシコ人は更に興奮。
彼は普段サクラメントに行っていて、学校が休みだからメキシコに帰ってきているということだ。どうりで英語が上手い。もう一人のメキシコ人は英語が喋れないらしく、暇そうだった。
医者になるつもりだと言っている。メキシコではエリートの方に属しているのだろうか。
2人メキシコ人はいたのだが、2人はさっき海のところで知り合ったばかりで、別にこれから一緒に帰るわけではないということで、メキシコ人二人のうち英語が喋れる方と一緒に町のほうへ帰る事にした。
うちに泊まりにくるか?とか言い始めた。
この時は行ってみたいと思っていた。しかしホテル予約してるし、丁重に断った。
友達は海際でいっぱい飲もうとビールを手に持っていた。
この国で呑むビールは非常に上手い。
コロナとテカテってビールがよくある。
友達はコロナビールが上手いと思ったらしい。
メキシコ人(以下エリアス)は、テカテの方がココではメジャーだという。
エリアスがバイトしてる店ではテカテが良く出るらしい。
エリアスは朝から夕方までぶっ続けでバイトしてるらしい。
料理もできると言う。
で、その時友達が持っていたビールはコロナだった。
で、幾らしたと言うと、それは高すぎるとエリアスが怒り出した。「君達は店に騙されている。僕が店の奴に言ってやるよ」と親切に言ってくれる。
どこまで親切やねん!
と思ったが、店に行くと、その高いと感じた分は、瓶代だったらしい。
そのまま、エリアスが飯を食わないかと言うので、
エリアスが普段バイトしてる店に行った。
テカテの赤いでかい看板がある。
テカテを呑んだ。うまかった。
店は余り安い店ではなく、エリアスは、払えるかどうか心配してくれた。ええやつやと思った。
貧乏旅行している俺達にとって安くはなかったが。高くもなかった。
飯はうまかった。高いといっても10ドルしてない。
その後、友達を紹介したいとエリアスが言うので、ダイエーみたいな感じの店に行った。
トニーって言う奴を紹介された。エリアスは高校生なのに奴は20代後半くらい。
friendと言っていたがこんな年の差があるのかとなんか不思議に思った。(後に謎は解ける)
で、トニーが何故か俺の髪型をカッコいいとほめた。
日本の美容院で切った(もちろんタダで)し、ちょっとメキシコにはいない髪型だったので
余りなんとも思わなかったのでサンキューと言っといた。(後にこのやり取りの意味を知る)
で、その後親に借りた靴を今日バイトで破いてしまって、怒られるので
買いに行きたいとエリアスが言うので付いて行ってみる。
で、エリアスが今靴代をもってないので金を貸してくれと俺の友達に言う。靴の値段は、日本の半分くらいで、結構な金。
初対面のあなたにそんな金を貸すことはできないと言った。
俺の友達はここらへんから、俺になんかおかしくない?と日本語でなんどもいい始め、彼を疑い始める。
その後彼は俺たちのホテルの部屋に疲れたから行きたいといい始めた。
俺もなんかおかしいと思い始める。
疲れた、疲れたというので、ホテルのロビーまで行ってソファーに座ってもらう。
部屋に行きたいと言う。なんかおかしい。絶対に。
断固拒否る。
また外に行く。公園でしゃべらない?というが、もう夜で、公園はとても恐ろしい雰囲気。
怖いからいやだと伝えた。
彼はなぜ?という。
で、俺の友達は「もうなんか変やわ。おかしい。ホテル帰ろう」という。
俺が、ここで無理やり別れるのもなんか失礼な気もするし、バス停まで送っていくわと反対し、俺達は決裂し、友達は先にホテルに戻り、俺はバス停へ。(後で考えれば、無理矢理別れるのが正解だったかもしれないと思う)
で、バス停に行く。公園へ行こうと何度も言われるが断る。
同じ言葉の応酬になってくる。
お前の行っている事はさっきからおかしい、俺達には理解できない、という事を伝えると、
いよいよ観念したようで、エリアスがカミングアウトする。
彼はなんとゲイで、俺の友達に惚れちゃったらしい。
海岸を夕方歩いていたので俺達もゲイかと思ったらしい。
あの海岸は実はゲイのデートスポットだったのだ!!
そういうところが海外にあると、そういえばガイドブックに書いてあったような。
そういうわけでエリアスはメキシコ人と最初歩いていたが、俺の友達を見て、そいつを振って俺の友達に乗り換えようとしたのだ。
そういえば、英語が喋れない方のメキシコ人はどこか寂しげだった。。
バス停でかなり語…
パンとか、スープとかは旨かったけど、ジュースは、甘すぎて駄目だった。パパイヤジュースは止めたほうがいいです。
となりで、白人のじいさんが飯食ってて、オレゴン州から来たと言っていた。
友達が興味持って、ネックレス屋で、また値引き交渉をした。
つい買ってしまったが、後で考えたら、高すぎた。
ティファナは余りにも国境の町過ぎて、メキシコな感じがしないので、さらに南へ行く事にしたので、
バス停に行くと、往復切符があって、往復11ドルと、おに安かった。
バスは、日本の観光バスみたいな、まあ普通のいいバスだった。
で、こうしてカリフォルニア半島を南下し始めたのだが、
バスから見れる景色が、すばらしすぎた。
日本には絶対に無い景色だった。
海岸では、ひたすら続く、殆ど人のいないビーチ。
山側は、荒野で、
乾燥に適応した
サボテン系の植物が生えている。
ところどころで馬を飼っているけれども、牧場には見えない、なんだかよくわからない家があった。
物凄く低い雲や、難化色んなおもしろい物が見れた。
エンセナダと言う町に到着すると、いきなり前に屋台とか、野菜を売っているところとかがあって、
メキシコらしかった。
ドルが通じるか不安だったのでとりあえずペソを作る事にした。
両替屋の親父に
どういうわけかスペインからきたのか?っていわれた。
ちなみに、銀行とかで両替するより、両替屋で両替した方が安い。
どういうわけなんだろうか。
ホテルを決め、町を歩いてみる。
タコスの屋台がここでもあった。
ココのタコスはpescado(魚)とcarne(エビ)があった。
さすが港町だと思った。
めちゃめちゃうまかった!!!
かなりお勧めです。
日本に帰ってきても味を思い出して食いたいと時々思う。
サンディエゴに帰ってきてロンリープラネットメキシを見て知ったが、有名らしかった。その後、町をぶらぶらしてみるが、
俺の持っているガイドブック、ロンプラカリフォルニアにはティファナまでしかかかれていないので、この町の情報は何もない。
と言うわけで地図を買いに本屋へ。
本屋では英語通じまくりで、しかもおっちゃんが親切で、色々教えてくれた。
一応メキシこは紀伊国屋で見た本によるとデンジャラス度5つ星だったので、どこがデンジャラスゾーンか?と聞いて、ぶらぶらした。
海のほうに行ってみる事にした。
なんか港にアシカがいる。
ちょっとサボテンとか見たいから西の方にいってみようってことになって、海岸を歩いた。
道端には砂漠的な植物が生えている。
海に沈む夕日がめちゃくちゃ美しかった。
で、暗くなったので帰ろうとするとき、道が2つに分かれているところでこっちからも帰れるのかな?とか言ってたら、
親切な若い2人の男が、そっちへ行くと港に行くだけで、街へは戻れないと教えてくれた。
やたら親切に教えてくれた。
どこから来たかと言われたので、最初はアメリカと答えていたが、話が盛り上がって、僕達は日本と言ってしまった。
そして一人のメキシコ人は更に興奮。
彼は普段サクラメントに行っていて、学校が休みだからメキシコに帰ってきているということだ。どうりで英語が上手い。もう一人のメキシコ人は英語が喋れないらしく、暇そうだった。
医者になるつもりだと言っている。メキシコではエリートの方に属しているのだろうか。
2人メキシコ人はいたのだが、2人はさっき海のところで知り合ったばかりで、別にこれから一緒に帰るわけではないということで、メキシコ人二人のうち英語が喋れる方と一緒に町のほうへ帰る事にした。
うちに泊まりにくるか?とか言い始めた。
この時は行ってみたいと思っていた。しかしホテル予約してるし、丁重に断った。
友達は海際でいっぱい飲もうとビールを手に持っていた。
この国で呑むビールは非常に上手い。
コロナとテカテってビールがよくある。
友達はコロナビールが上手いと思ったらしい。
メキシコ人(以下エリアス)は、テカテの方がココではメジャーだという。
エリアスがバイトしてる店ではテカテが良く出るらしい。
エリアスは朝から夕方までぶっ続けでバイトしてるらしい。
料理もできると言う。
で、その時友達が持っていたビールはコロナだった。
で、幾らしたと言うと、それは高すぎるとエリアスが怒り出した。「君達は店に騙されている。僕が店の奴に言ってやるよ」と親切に言ってくれる。
どこまで親切やねん!
と思ったが、店に行くと、その高いと感じた分は、瓶代だったらしい。
そのまま、エリアスが飯を食わないかと言うので、
エリアスが普段バイトしてる店に行った。
テカテの赤いでかい看板がある。
テカテを呑んだ。うまかった。
店は余り安い店ではなく、エリアスは、払えるかどうか心配してくれた。ええやつやと思った。
貧乏旅行している俺達にとって安くはなかったが。高くもなかった。
飯はうまかった。高いといっても10ドルしてない。
その後、友達を紹介したいとエリアスが言うので、ダイエーみたいな感じの店に行った。
トニーって言う奴を紹介された。エリアスは高校生なのに奴は20代後半くらい。
friendと言っていたがこんな年の差があるのかとなんか不思議に思った。(後に謎は解ける)
で、トニーが何故か俺の髪型をカッコいいとほめた。
日本の美容院で切った(もちろんタダで)し、ちょっとメキシコにはいない髪型だったので
余りなんとも思わなかったのでサンキューと言っといた。(後にこのやり取りの意味を知る)
で、その後親に借りた靴を今日バイトで破いてしまって、怒られるので
買いに行きたいとエリアスが言うので付いて行ってみる。
で、エリアスが今靴代をもってないので金を貸してくれと俺の友達に言う。靴の値段は、日本の半分くらいで、結構な金。
初対面のあなたにそんな金を貸すことはできないと言った。
俺の友達はここらへんから、俺になんかおかしくない?と日本語でなんどもいい始め、彼を疑い始める。
その後彼は俺たちのホテルの部屋に疲れたから行きたいといい始めた。
俺もなんかおかしいと思い始める。
疲れた、疲れたというので、ホテルのロビーまで行ってソファーに座ってもらう。
部屋に行きたいと言う。なんかおかしい。絶対に。
断固拒否る。
また外に行く。公園でしゃべらない?というが、もう夜で、公園はとても恐ろしい雰囲気。
怖いからいやだと伝えた。
彼はなぜ?という。
で、俺の友達は「もうなんか変やわ。おかしい。ホテル帰ろう」という。
俺が、ここで無理やり別れるのもなんか失礼な気もするし、バス停まで送っていくわと反対し、俺達は決裂し、友達は先にホテルに戻り、俺はバス停へ。(後で考えれば、無理矢理別れるのが正解だったかもしれないと思う)
で、バス停に行く。公園へ行こうと何度も言われるが断る。
同じ言葉の応酬になってくる。
お前の行っている事はさっきからおかしい、俺達には理解できない、という事を伝えると、
いよいよ観念したようで、エリアスがカミングアウトする。
彼はなんとゲイで、俺の友達に惚れちゃったらしい。
海岸を夕方歩いていたので俺達もゲイかと思ったらしい。
あの海岸は実はゲイのデートスポットだったのだ!!
そういうところが海外にあると、そういえばガイドブックに書いてあったような。
そういうわけでエリアスはメキシコ人と最初歩いていたが、俺の友達を見て、そいつを振って俺の友達に乗り換えようとしたのだ。
そういえば、英語が喋れない方のメキシコ人はどこか寂しげだった。。
バス停でかなり語…
ティファナ熱すぎ
2004年3月7日また昨日と同じ、旨いパンと
昨日99セントショップと言う、日本での百円均一みたいな店
で買ったお菓子と、スーパーで買ったピスタチオを食った。
ティファナ行きの長距離バス停にチャリを持って行ってみると、
バスに乗せれないと言われる。
で、折りたたんで見せても、駄目といわれ、壁の注意書きをよく読むと、箱に入れないといけないらしい。
箱は用意できるか?ときいてみると、自分で用意しろみたいに言われたので、チャリを持っていくことを断念。
俺が経営者なら、ここにダンボール置いて、5ドルくらいで旅行者に売りつける。
チャリをどうするかが問題となった。
しかし、路上駐車したら、100%パクられる。
俺らが乗っていてもOh!nice bike! where did you buy?
と聞いてくるくらい人気のあるチャリだ。
路上に置いて行ったら、Oh!nice bike! yoo-hoo!と言って持っていかれてしまうだろう。
ワイヤーロックなんて、アメリカンサイズのハサミと、アメリカン腕力で切られてしまうに決まっている。
名案が浮かんだ。
YHの人に預かってもらえるのではないか?
フロントに行って、I will came back とか言うと、OK!
と軽いノリで預かってくれた。
どこ行くか?と聞かれたのでメキシコに行くと答えると、そのフロントのお姉さんは、OH nice!I am from Algentinaと言ってたので、
これから死ぬほど使う事になると思われるスペイン語でありがとう、また来ますと言ってYHを出た。
バスに乗ると、イカツイ系のアジア系な人がいて、こんにちは!といわれた。
やっぱ日本人だ!
フジさんという方で、
ずっとバスで旅をしていて、バス内で日本人にあったのは2回目くらいらしく、結構話が弾んだ。
めちゃめちゃおもろい人で、ティファナまでの3時間は全く退屈しなかった。
この人からいろいろな事を学んだ。
ティファナについて、バスを降りるとすぐゲートが見えた。
その前に、
「1ドル札が重要。20ドルは向こうではお釣りが無い」
と言う情報がガイドにのっていたので、こっち側のスーパーで
崩す事にした。
こっち側といっても、店員も品物も明らかに向こう側から来ていると思われる感じだ。
もろスペイン語。
変わった木みたいなバナナがあったので買ってみた。
ゲートに入る。
通路をひたすら歩く。
回転扉を通る。
また通路を歩く。
あれ?いつの間にか検問みたいなの何も無かったのにメキシコに俺たちいるぞ?
見たいな感じで入国してしまった。
入国72時間以内だとツーリストカードがいらないらしいが、入国証明取るところなんて無かったぞ。
でも、フジさんと一緒にいて、大丈夫ですよ、とおっしゃるのでまあいっかとそのままティファナ市街方向へとへ向うと、
道の両側に土産物屋と薬屋(安い薬を買いにたくさんのアメリカ人がメキシコへ行くらしい)
が大量に出現。
店員のおっさんが
トモダチ!
チョットマテヤ!
シアワセ デスカ?
などと日本語で話し掛けてくる。
アジアに戻ったような感じだ。
周りを見ると、建物のレベルが一気に落ちている。
汚くて小さくて、材質が安そう。
物乞いの子供がたくさんいる。
さっき買った木みたいなバナナを食べてみると、渋い変な味がする。
フルーツではなく煮込んだりして食べる野菜なんだろうと思う。
物乞いが、フジさんにコーラをくれと言っていたので、俺が代わりにそのバナナをあげたら、あまり嬉しそうにしなかった上に、周りのメキシコ人なおばちゃんが爆笑したことからも、そのままくうものではない事が分かる。
日本の土産物屋だったら多分生で食えませんよって言ってくれそうなのに。
とりあえず荷物置きにガイドに載っている安ホテル
を探すが見当たらない。
現地人に聞いてみる。
英語通じない!!
すると、英語分かる人が呼ばれてきた。
メキシコ人やさしい!
そのホテルは分からないが、住所からするとこのブロックだ。とおしえてくれた。
もう一度探してみると、
しまっている扉にそのホテルの名前が書いてあった!
するとそこにいたおっさんが、ホテル潰れたよ見たいに教えてくれた。
さすがメキシコ。さすが安宿。
しかしこれまでかなりの情報の正確さを誇ってきた俺のガイドブック(地球の歩き方ではない)
も、メキシコまではカバーしきらないようだ。
となりに中級な感じのホテルがあったので、値段だけ聞いてみると、2人で44ドル。
部屋みしてもらうと、でかいベッド二つある。
アメリカのユースの値段でこんなホテルとは!
と経済格差をかみしめつつ、
周りの治安もわるそうやし、一泊目はいいとこ泊まっとくか!
ってことになる。
荷物を置いて、町へ出た。
日本語で話し掛けてくる騒々しい通りを通って、
レストランを探す。
フジさんは3つで1ドルのタコスを食った。
俺もタコス食った。
辛いけどおいしかった。
熱い国ということもあって
ビールがうまかった。
だから肥っている人が多いんだなと思った。
フジさんがエッチな店に行くというので、
途中までついてくことにした。
そういう通りに行くと、新宿の2倍くらい客引きがいた。
おっさんが着いて来て、フジさんと喋り始めた。
後で分かれたときに聞いたところ、ガイドしてあげたから1ドルくれと
言われたそうだ。
店の前には、
露出の多い服を着た女が一杯いて、
中には、高校生くらいと思われる奴もいて、
声をかけてくる。
服を引っ張る奴も結構いる。
アメリカ人がたくさん「買い」にきているんだろう。
もちろん巨乳さんが一杯です。
たまに美人もいます。
でも、物凄く病気もらいそうです。
フジさんと別れ、夜飯喰いに行った。
メニューがスペイン語でよくわからないので適当に頼むと、
友達のやつは、かの有名なチョコレートソースつけた肉だった。
おに不味かったららしい。
帰りにスーパーに寄って帰った。
フルーツが安かった。でもマンゴーとか、酸っぱかった。
種とか粒とか浮いてる瓶詰めのオレンジジュースがあって、
買ってみたらめちゃめちゃ旨かった。
日本の、みかん100%の、濃縮還元でないやつよりも上を行く旨さだった。
バーガーキングの着色料たっぷりのオレンジジュースの
10000倍うまかった。
使ったお金は
バス代18ドル、ホテル代22ドル、スーパー5ドル、飯代10ドル
計55ドル。
昨日99セントショップと言う、日本での百円均一みたいな店
で買ったお菓子と、スーパーで買ったピスタチオを食った。
ティファナ行きの長距離バス停にチャリを持って行ってみると、
バスに乗せれないと言われる。
で、折りたたんで見せても、駄目といわれ、壁の注意書きをよく読むと、箱に入れないといけないらしい。
箱は用意できるか?ときいてみると、自分で用意しろみたいに言われたので、チャリを持っていくことを断念。
俺が経営者なら、ここにダンボール置いて、5ドルくらいで旅行者に売りつける。
チャリをどうするかが問題となった。
しかし、路上駐車したら、100%パクられる。
俺らが乗っていてもOh!nice bike! where did you buy?
と聞いてくるくらい人気のあるチャリだ。
路上に置いて行ったら、Oh!nice bike! yoo-hoo!と言って持っていかれてしまうだろう。
ワイヤーロックなんて、アメリカンサイズのハサミと、アメリカン腕力で切られてしまうに決まっている。
名案が浮かんだ。
YHの人に預かってもらえるのではないか?
フロントに行って、I will came back とか言うと、OK!
と軽いノリで預かってくれた。
どこ行くか?と聞かれたのでメキシコに行くと答えると、そのフロントのお姉さんは、OH nice!I am from Algentinaと言ってたので、
これから死ぬほど使う事になると思われるスペイン語でありがとう、また来ますと言ってYHを出た。
バスに乗ると、イカツイ系のアジア系な人がいて、こんにちは!といわれた。
やっぱ日本人だ!
フジさんという方で、
ずっとバスで旅をしていて、バス内で日本人にあったのは2回目くらいらしく、結構話が弾んだ。
めちゃめちゃおもろい人で、ティファナまでの3時間は全く退屈しなかった。
この人からいろいろな事を学んだ。
ティファナについて、バスを降りるとすぐゲートが見えた。
その前に、
「1ドル札が重要。20ドルは向こうではお釣りが無い」
と言う情報がガイドにのっていたので、こっち側のスーパーで
崩す事にした。
こっち側といっても、店員も品物も明らかに向こう側から来ていると思われる感じだ。
もろスペイン語。
変わった木みたいなバナナがあったので買ってみた。
ゲートに入る。
通路をひたすら歩く。
回転扉を通る。
また通路を歩く。
あれ?いつの間にか検問みたいなの何も無かったのにメキシコに俺たちいるぞ?
見たいな感じで入国してしまった。
入国72時間以内だとツーリストカードがいらないらしいが、入国証明取るところなんて無かったぞ。
でも、フジさんと一緒にいて、大丈夫ですよ、とおっしゃるのでまあいっかとそのままティファナ市街方向へとへ向うと、
道の両側に土産物屋と薬屋(安い薬を買いにたくさんのアメリカ人がメキシコへ行くらしい)
が大量に出現。
店員のおっさんが
トモダチ!
チョットマテヤ!
シアワセ デスカ?
などと日本語で話し掛けてくる。
アジアに戻ったような感じだ。
周りを見ると、建物のレベルが一気に落ちている。
汚くて小さくて、材質が安そう。
物乞いの子供がたくさんいる。
さっき買った木みたいなバナナを食べてみると、渋い変な味がする。
フルーツではなく煮込んだりして食べる野菜なんだろうと思う。
物乞いが、フジさんにコーラをくれと言っていたので、俺が代わりにそのバナナをあげたら、あまり嬉しそうにしなかった上に、周りのメキシコ人なおばちゃんが爆笑したことからも、そのままくうものではない事が分かる。
日本の土産物屋だったら多分生で食えませんよって言ってくれそうなのに。
とりあえず荷物置きにガイドに載っている安ホテル
を探すが見当たらない。
現地人に聞いてみる。
英語通じない!!
すると、英語分かる人が呼ばれてきた。
メキシコ人やさしい!
そのホテルは分からないが、住所からするとこのブロックだ。とおしえてくれた。
もう一度探してみると、
しまっている扉にそのホテルの名前が書いてあった!
するとそこにいたおっさんが、ホテル潰れたよ見たいに教えてくれた。
さすがメキシコ。さすが安宿。
しかしこれまでかなりの情報の正確さを誇ってきた俺のガイドブック(地球の歩き方ではない)
も、メキシコまではカバーしきらないようだ。
となりに中級な感じのホテルがあったので、値段だけ聞いてみると、2人で44ドル。
部屋みしてもらうと、でかいベッド二つある。
アメリカのユースの値段でこんなホテルとは!
と経済格差をかみしめつつ、
周りの治安もわるそうやし、一泊目はいいとこ泊まっとくか!
ってことになる。
荷物を置いて、町へ出た。
日本語で話し掛けてくる騒々しい通りを通って、
レストランを探す。
フジさんは3つで1ドルのタコスを食った。
俺もタコス食った。
辛いけどおいしかった。
熱い国ということもあって
ビールがうまかった。
だから肥っている人が多いんだなと思った。
フジさんがエッチな店に行くというので、
途中までついてくことにした。
そういう通りに行くと、新宿の2倍くらい客引きがいた。
おっさんが着いて来て、フジさんと喋り始めた。
後で分かれたときに聞いたところ、ガイドしてあげたから1ドルくれと
言われたそうだ。
店の前には、
露出の多い服を着た女が一杯いて、
中には、高校生くらいと思われる奴もいて、
声をかけてくる。
服を引っ張る奴も結構いる。
アメリカ人がたくさん「買い」にきているんだろう。
もちろん巨乳さんが一杯です。
たまに美人もいます。
でも、物凄く病気もらいそうです。
フジさんと別れ、夜飯喰いに行った。
メニューがスペイン語でよくわからないので適当に頼むと、
友達のやつは、かの有名なチョコレートソースつけた肉だった。
おに不味かったららしい。
帰りにスーパーに寄って帰った。
フルーツが安かった。でもマンゴーとか、酸っぱかった。
種とか粒とか浮いてる瓶詰めのオレンジジュースがあって、
買ってみたらめちゃめちゃ旨かった。
日本の、みかん100%の、濃縮還元でないやつよりも上を行く旨さだった。
バーガーキングの着色料たっぷりのオレンジジュースの
10000倍うまかった。
使ったお金は
バス代18ドル、ホテル代22ドル、スーパー5ドル、飯代10ドル
計55ドル。
起きたら、熱くもないのに相部屋の外人は裸でねとった。
朝飯のパンは、さすがパン国家、まあまあ旨かった。
昨日に引き続き、自転車で色々行こうという事になり、
海が見てみたいなという事になったので、サンタモニカに行く事になった。昨日、ビバリーヒルズらへんまでで結構時間かかったので、
バスでないと時間かかりすぎるやろ。
というわけでバス停に行った。
なかなかバスが来ないので、ブリトとかいうメキシコ系のファストフード(2ドルちょい)を食った。
俺は無難そうなチキンをえらんだ。
それにしても米国のバス停は時刻表も何も無いからいつ来るかわかんなくて困る。一時間に何本あるのかさえバスに乗ってみないと分からない。(時刻表が何故かバスの中にはおいてある)
友達は、昨日から肉系ばかりなので、
野菜系でいこう。と思ったのと、安かったため、
ビーンアンドチーズというのを頼んだ。
鬼まずかったらしい!
(後に俺もメキシコ本土にてこれを食う羽目になり、まずかった)
そうこうするうちに、前に自転車をつけたバスがきて、自転車を積み込もうというそぶりを見せると、サングラスの白人のおっさん運転手に
NO bike!Go to metro! とぶっきらぼうに言われた。
前についている自転車は特別なのだろうか?と不思議に思いつつ、
で、アメリカのバスは自転車は駄目なのか?
と思ったが、ガイドによると前に自転車積むところがあって、いいはず。
もう15分待つと、またバスがきて、今度は積むところが空いてて、何も言われないので、積み込んでみると、とりあえずNO!とは言われなかった。OKぽい。
どうやら、前のバスは、既に自転車が乗っていたから駄目だっただけのよう。(metoroバスは、2個までしかチャリを積めないみたい)
で、俺が台にチャリを載せ、友達がチャリを載せ始めると、
黒人のおばちゃんが、なんか運転席で騒ぎ出す。
友人のチャリの積み方が気に入らないらしい。
で、積みなおしたりしてると、ぶち切れてバスを降りてきて、
なんか英語の早口でヒステリックに喋りながら、自転車を積みなおし、出発した。
で、空いていたし、前の方の老人優先席に座ると、なんか迎えに座ってる婆さんに、お前らの座るところじゃないみたいなジェスチャーをされたので、
米国に着いたばかりで指図には全て従わざるをえないようになっている俺たちは、OH、sorryと言って後ろに行った。
が、その後乗って来た奴はが普通に老人優先席に座って居て何も言われない。
人種差別されたくさい。
「何偉そうに指図しとんじゃ!空いとんやから座ったってええやんけ!」と言い返せる、それくらいの英語力がこっちで生活するには必要だなと感じた。
で、しばらくすると、例の黒人のおばはん運転手が、なんかしゃべってるなーって(発音悪くて早いから何言ってるかわかんない)思ってたら、どうやら俺らに対し言ってたらしく、そして俺らが何も返事をしなかったのでわめきだし、またヒステリーを起こしだす!
this bus
don’t go beach 見たいなことを言ってるようだ。
で、なんかよくわからないけど、降りろと言われて、
UCLAの近くのよくわからないバス停で降ろされた。
バス停の表示を見ると、金曜から日曜はサンタモニカ行きが無いとかいてある。
一緒に降りたメキシコ系のおばさんに聞いてみたところ、
別のバス停に行ったり、別の会社のバスならサンタモニカ行きがあるらしく、とりあえずここに居ても意味なさそうなのでチャリで移動し始めた。
そしたら結構快適だったのでこのままチャリで行こうか!ってことになった。
メキシコ系のおばさんは3時間かかるとか行ってたけど、地図見る限りそれはありえんとおもう。
途中で、銀行あったので友達が、TCを金に替えてもらいたいというので立ち寄る。俺はトイレ借りようと思ったら、
無いとか言われる。
米国ではセブンイレブンにもトイレないし、飲み物が安いからといって飲みまくるのはやめた方がよさそうだ。
サンタモニカに着くと、公園に普通にプレーリードッグみたいな地ねずみを発見。
かわいらしい。
このあたりは異常にに白人率が高い。
昨日のメトロ車内と対照的。
リッチ層の住む美しい地域だ。
高校地理で聞いてはいたが、来てみるまで人種、所得によってこれほど住む地域が分かれているとは思わなかった。
ビーチは、めちゃめちゃ広かった。
去年遠州灘の砂浜に行って、静岡は広いな、須磨海岸とは違うなあと感動したばっかりだったが、その数十倍広かった。
日光浴を楽しむ人や、砂の城を作っている家族とか、ターザンみたいな若者とか、謎い人が砂浜に一杯居た。
桟橋があって、上ってみると、店とかあったり、釣りしている人がいたりした。
案内板が、スペイン語と英語の2表記あったので、ちょっとスペイン語をおさらいした。
その後、さらに南へといってみた。
ローラースケートが周りに結構居た。
180センチ以上ある姉ちゃんに抜かされた。チャリより速いってどういうことやねん。
ベニスとか言うあたりにつくと、あやしい土産物屋とか、大道芸人が一杯居てお祭りみたいだった。
ビーチバレーコートやバスケコートがいっぱいあって、黒人さんが大活躍していた。
そのままさらに南へ行くと、海岸沿いはいけないみたいだったので普通の道を進んだ。
途中中古家具屋とか、すし屋とか、ハーレーの店とか、自転車屋とか、興味深い店が一杯あってたちよった。
marinaというところで5時前になったのでバスで帰る事にした。
また例によって時刻表が無いし20分してもこないので、
となりのスーパーに行ってみた。
初スーパーマーケット。
ハリウッドでは見なかったからな。
アメリカンサイズに驚いたり、値段の相場を知ったり、
色々と楽しかった。
醤油とか札幌一番とか、懐かしい物があった。
それでもバスがいっこうに来ないので、もうチャリである程度いっとこうとか言う事になって、そのまま走り続けて2時間くらいで戻ってきた。
途中、全く観光地ではないあたりを通ったりできてなんかよかった。
早くも故国系の飯が食いたくなったので、
タイ料理やに行ってみた。
炒飯旨かった。
米が食えて嬉しかったから。
99セントショップと言う、日本の百円均一みたいな店があった。
違うのは、
食料品が鬼のように安い。
日本のパーティーサイズ異常の大きさのポテトチップとかが99セント。
水も、クリスタルゲイザー500ml6本99セントとか。
もう一つ違うのは、
客層も店員も、黒人とメキシコ系しかいない事。
リッチな白人とマイノリティとは、行く店も分けられているのか。
帰ったら、例の外人さんたちが何故か寝てて、友達は疲れていたのですぐに寝た。
俺は、しょうがないから一人でハリウッドぷらぷらしてた。
今日一日全く日本人見なかったのに、
このちょっとの時間に大量に見た。
ハリウッドは本当に日本人多いな。
日本人のちょっとおしゃれした女グループが通り過ぎたら、
ジャマイカっぽい黒人に、are you japanese?
って言われたのでyes といったら、あのgirlsはjapaneseか?
めちゃくちゃ可愛い!見たいなことを言われた。
本当に日本人の女は外人の男に持てる。
白人黒人問わず。
その黒人に、おもしろそうなところを教えてもらうと、
生演奏をやっているところがあった。
旨いのか下手なのかは知らないけど
外人さんのバンドは凄い迫力でした。
俺的には凄い旨いと思った。
朝飯のパンは、さすがパン国家、まあまあ旨かった。
昨日に引き続き、自転車で色々行こうという事になり、
海が見てみたいなという事になったので、サンタモニカに行く事になった。昨日、ビバリーヒルズらへんまでで結構時間かかったので、
バスでないと時間かかりすぎるやろ。
というわけでバス停に行った。
なかなかバスが来ないので、ブリトとかいうメキシコ系のファストフード(2ドルちょい)を食った。
俺は無難そうなチキンをえらんだ。
それにしても米国のバス停は時刻表も何も無いからいつ来るかわかんなくて困る。一時間に何本あるのかさえバスに乗ってみないと分からない。(時刻表が何故かバスの中にはおいてある)
友達は、昨日から肉系ばかりなので、
野菜系でいこう。と思ったのと、安かったため、
ビーンアンドチーズというのを頼んだ。
鬼まずかったらしい!
(後に俺もメキシコ本土にてこれを食う羽目になり、まずかった)
そうこうするうちに、前に自転車をつけたバスがきて、自転車を積み込もうというそぶりを見せると、サングラスの白人のおっさん運転手に
NO bike!Go to metro! とぶっきらぼうに言われた。
前についている自転車は特別なのだろうか?と不思議に思いつつ、
で、アメリカのバスは自転車は駄目なのか?
と思ったが、ガイドによると前に自転車積むところがあって、いいはず。
もう15分待つと、またバスがきて、今度は積むところが空いてて、何も言われないので、積み込んでみると、とりあえずNO!とは言われなかった。OKぽい。
どうやら、前のバスは、既に自転車が乗っていたから駄目だっただけのよう。(metoroバスは、2個までしかチャリを積めないみたい)
で、俺が台にチャリを載せ、友達がチャリを載せ始めると、
黒人のおばちゃんが、なんか運転席で騒ぎ出す。
友人のチャリの積み方が気に入らないらしい。
で、積みなおしたりしてると、ぶち切れてバスを降りてきて、
なんか英語の早口でヒステリックに喋りながら、自転車を積みなおし、出発した。
で、空いていたし、前の方の老人優先席に座ると、なんか迎えに座ってる婆さんに、お前らの座るところじゃないみたいなジェスチャーをされたので、
米国に着いたばかりで指図には全て従わざるをえないようになっている俺たちは、OH、sorryと言って後ろに行った。
が、その後乗って来た奴はが普通に老人優先席に座って居て何も言われない。
人種差別されたくさい。
「何偉そうに指図しとんじゃ!空いとんやから座ったってええやんけ!」と言い返せる、それくらいの英語力がこっちで生活するには必要だなと感じた。
で、しばらくすると、例の黒人のおばはん運転手が、なんかしゃべってるなーって(発音悪くて早いから何言ってるかわかんない)思ってたら、どうやら俺らに対し言ってたらしく、そして俺らが何も返事をしなかったのでわめきだし、またヒステリーを起こしだす!
this bus
don’t go beach 見たいなことを言ってるようだ。
で、なんかよくわからないけど、降りろと言われて、
UCLAの近くのよくわからないバス停で降ろされた。
バス停の表示を見ると、金曜から日曜はサンタモニカ行きが無いとかいてある。
一緒に降りたメキシコ系のおばさんに聞いてみたところ、
別のバス停に行ったり、別の会社のバスならサンタモニカ行きがあるらしく、とりあえずここに居ても意味なさそうなのでチャリで移動し始めた。
そしたら結構快適だったのでこのままチャリで行こうか!ってことになった。
メキシコ系のおばさんは3時間かかるとか行ってたけど、地図見る限りそれはありえんとおもう。
途中で、銀行あったので友達が、TCを金に替えてもらいたいというので立ち寄る。俺はトイレ借りようと思ったら、
無いとか言われる。
米国ではセブンイレブンにもトイレないし、飲み物が安いからといって飲みまくるのはやめた方がよさそうだ。
サンタモニカに着くと、公園に普通にプレーリードッグみたいな地ねずみを発見。
かわいらしい。
このあたりは異常にに白人率が高い。
昨日のメトロ車内と対照的。
リッチ層の住む美しい地域だ。
高校地理で聞いてはいたが、来てみるまで人種、所得によってこれほど住む地域が分かれているとは思わなかった。
ビーチは、めちゃめちゃ広かった。
去年遠州灘の砂浜に行って、静岡は広いな、須磨海岸とは違うなあと感動したばっかりだったが、その数十倍広かった。
日光浴を楽しむ人や、砂の城を作っている家族とか、ターザンみたいな若者とか、謎い人が砂浜に一杯居た。
桟橋があって、上ってみると、店とかあったり、釣りしている人がいたりした。
案内板が、スペイン語と英語の2表記あったので、ちょっとスペイン語をおさらいした。
その後、さらに南へといってみた。
ローラースケートが周りに結構居た。
180センチ以上ある姉ちゃんに抜かされた。チャリより速いってどういうことやねん。
ベニスとか言うあたりにつくと、あやしい土産物屋とか、大道芸人が一杯居てお祭りみたいだった。
ビーチバレーコートやバスケコートがいっぱいあって、黒人さんが大活躍していた。
そのままさらに南へ行くと、海岸沿いはいけないみたいだったので普通の道を進んだ。
途中中古家具屋とか、すし屋とか、ハーレーの店とか、自転車屋とか、興味深い店が一杯あってたちよった。
marinaというところで5時前になったのでバスで帰る事にした。
また例によって時刻表が無いし20分してもこないので、
となりのスーパーに行ってみた。
初スーパーマーケット。
ハリウッドでは見なかったからな。
アメリカンサイズに驚いたり、値段の相場を知ったり、
色々と楽しかった。
醤油とか札幌一番とか、懐かしい物があった。
それでもバスがいっこうに来ないので、もうチャリである程度いっとこうとか言う事になって、そのまま走り続けて2時間くらいで戻ってきた。
途中、全く観光地ではないあたりを通ったりできてなんかよかった。
早くも故国系の飯が食いたくなったので、
タイ料理やに行ってみた。
炒飯旨かった。
米が食えて嬉しかったから。
99セントショップと言う、日本の百円均一みたいな店があった。
違うのは、
食料品が鬼のように安い。
日本のパーティーサイズ異常の大きさのポテトチップとかが99セント。
水も、クリスタルゲイザー500ml6本99セントとか。
もう一つ違うのは、
客層も店員も、黒人とメキシコ系しかいない事。
リッチな白人とマイノリティとは、行く店も分けられているのか。
帰ったら、例の外人さんたちが何故か寝てて、友達は疲れていたのですぐに寝た。
俺は、しょうがないから一人でハリウッドぷらぷらしてた。
今日一日全く日本人見なかったのに、
このちょっとの時間に大量に見た。
ハリウッドは本当に日本人多いな。
日本人のちょっとおしゃれした女グループが通り過ぎたら、
ジャマイカっぽい黒人に、are you japanese?
って言われたのでyes といったら、あのgirlsはjapaneseか?
めちゃくちゃ可愛い!見たいなことを言われた。
本当に日本人の女は外人の男に持てる。
白人黒人問わず。
その黒人に、おもしろそうなところを教えてもらうと、
生演奏をやっているところがあった。
旨いのか下手なのかは知らないけど
外人さんのバンドは凄い迫力でした。
俺的には凄い旨いと思った。
出国
2004年3月5日時差ぼけにならないために、徹夜して一睡もせずに空港に行った。飛行機では飯食った後爆睡して、
着いたらアメリカ時間の朝だったので、ちょうどよかった。
空港で入国審査が、やたらいろいろ聞かれて、厳しいと感じた。
まず、公衆電話が、25セントしか使えなくて、しかも初期料金が50セントという鬼のような高さに驚いた。
というわけで、フリーダイヤルで電話できる宿に電話してみた。
使い方をわかるまでちょっと戸惑った。
電話して、1件だめで、2つ目と3つ目がOKだった。
で、とりあえずハリウッドがいろいろ回りに見所あるぽいからいくことにした。
で、インフォメーションにどうやっていくか聞くと、
I don’t have much money と言ったらmetroを勧められたので、
metroの駅に行くバス乗り場に行った。
なんか陽気に話しかけてきた黒人さんがいて、話していると、しばらくすると募金の話になった。
海外で話しかけてくる人には警戒しろと言う教訓を思い出し、
ちゃんとした募金ではない可能性も高いと思ったので、断った。
バス乗り場で、通り過ぎていく車のでかさと、そしてまた乗っている人の巨体さに圧倒された。
metroの駅行って、上ると即ホームになっていた。
あれ?改札無いの?とか思ったけど、電車来たから乗った。
ガイドをめくってみると、チケット販売機が駅のどこかにあるはずらしい。見なかったぞ。
電車内は、メキシコ系のおばさんと黒人の音楽聴きながらノリノリの見るからにかかわってはいけない、映画に出てきそうな若者グループしかいない。
で、
ここは、カネを持っているかどうかで階級がはっきりと分かれる社会だと言うことを思い出した。
米国という国で、電車に乗っているすなわち自分の車で移動していないということは、
車を持っていない可能性が高く、
そして貧しい階層である可能性が高く、
そして犯罪をする人々である可能性が高い。
という風に思考は進み、急に怖くなってきた。
metroの路線を変えるところで、券売機があったので、切符を買ったが、周り誰もいなかった。
切符なんか買っているの俺らだけじゃないか?
と思った。
blueという路線に乗ると、どんどん北に行くにつれて人が乗って来るが、乗ってくるのがどういうわけかみんな黒人で、なんと100%俺らの乗っている電車は俺ら以外黒人だった。
そして、大き目の服を着ていて、頭に布を巻き、シルバーや金のアクセサリーをまとっているパターン多数、
刺青もいるし、サングラスしてるやつもいるし、音楽を聴きながら体を動かしている人もいらっしゃる。
そして基本的にガタイがいい。
俺は身長180近くあるのに、車内の男の中では小さいほう。
この状態に、俺はかなり、ビビってしまった。
窓の外の景色みると、(blueという路線はmetroなのに地上を走っている)どう見ても裕福そうには見えない家と工場みたいなのばかり。止まっている車も四角い古そうなやつが多いし、家もぼろっちいい。そして何より歩いているのは黒人とメキシコ系ばかり。
しかし、一回も話しかけられることも無く、無事にダウンタウンについた。
ダウンタウンでまたハリウッド行きのにredという路線に乗り換えた。今度の路線は、ちゃんと地下のみを走り、車内には白人もいて、普通な感じだった。
駅で駅員に切符を見せろといわれて、これはblueの切符だからredには乗れないといわれた。また切符を買うことになり、本当に空港からハリウッドまではmetroでいいのかとあの空港のinformationの人に対しかなり疑いを持った。
ハリウッドに着いたら、いろいろな人種が普通の割合でいて、やっと普通のところに戻ったと思った。
宿はYHなので見つけるのに苦労した。
YHは看板とか小さいし、入り口はもっと小さいので見つけにくい。
夕飯は、朝機内食が満足だったので節約ということでハンバーガーにしてみよう。ってことになった。
reglurを頼んだのに、多かった。juniorが日本と同じくらいだった。
その上にlargeとkingとさらに二段階あったが、無理だと思ったが、それを毎日食べてそうな、体型が球形と言い表していいようなモンスター2人組が隣で食べていて納得した。
友達がorangejuiceと頼んだが、1%も果汁が入ってなさそうな、極彩色の砂糖水が出てきて、アメリカを感じた。
ハンバーガーは、レタスが多くて、日本よりうまかった。
帰ったら、相部屋は、スペイン語を話す白人で、
見た目いかついけど、ふれんどりーだった。
だが、夜中バドワイザーを飲んで騒いでいて、(オッパと叫んでいて、何かと思ったら、横浜に来たとき、覚えたと、言っていた。日本人の女の子に対し、飲み会のときにそう言うと、見せてくれたらしく、
飲み会でテンション高くなると、彼らはそう叫ぶことになったらしい。)
一緒に来た友達は眠れなくて困ったらしい。
が、俺は疲れていたので爆睡したので全く気にならなかった。
使ったお金
成田まで チャリ9800円 交通費830円
ロスから metro3ドルHostel 18ドル 水2ドル KingBG4ドル
計 27ドル
着いたらアメリカ時間の朝だったので、ちょうどよかった。
空港で入国審査が、やたらいろいろ聞かれて、厳しいと感じた。
まず、公衆電話が、25セントしか使えなくて、しかも初期料金が50セントという鬼のような高さに驚いた。
というわけで、フリーダイヤルで電話できる宿に電話してみた。
使い方をわかるまでちょっと戸惑った。
電話して、1件だめで、2つ目と3つ目がOKだった。
で、とりあえずハリウッドがいろいろ回りに見所あるぽいからいくことにした。
で、インフォメーションにどうやっていくか聞くと、
I don’t have much money と言ったらmetroを勧められたので、
metroの駅に行くバス乗り場に行った。
なんか陽気に話しかけてきた黒人さんがいて、話していると、しばらくすると募金の話になった。
海外で話しかけてくる人には警戒しろと言う教訓を思い出し、
ちゃんとした募金ではない可能性も高いと思ったので、断った。
バス乗り場で、通り過ぎていく車のでかさと、そしてまた乗っている人の巨体さに圧倒された。
metroの駅行って、上ると即ホームになっていた。
あれ?改札無いの?とか思ったけど、電車来たから乗った。
ガイドをめくってみると、チケット販売機が駅のどこかにあるはずらしい。見なかったぞ。
電車内は、メキシコ系のおばさんと黒人の音楽聴きながらノリノリの見るからにかかわってはいけない、映画に出てきそうな若者グループしかいない。
で、
ここは、カネを持っているかどうかで階級がはっきりと分かれる社会だと言うことを思い出した。
米国という国で、電車に乗っているすなわち自分の車で移動していないということは、
車を持っていない可能性が高く、
そして貧しい階層である可能性が高く、
そして犯罪をする人々である可能性が高い。
という風に思考は進み、急に怖くなってきた。
metroの路線を変えるところで、券売機があったので、切符を買ったが、周り誰もいなかった。
切符なんか買っているの俺らだけじゃないか?
と思った。
blueという路線に乗ると、どんどん北に行くにつれて人が乗って来るが、乗ってくるのがどういうわけかみんな黒人で、なんと100%俺らの乗っている電車は俺ら以外黒人だった。
そして、大き目の服を着ていて、頭に布を巻き、シルバーや金のアクセサリーをまとっているパターン多数、
刺青もいるし、サングラスしてるやつもいるし、音楽を聴きながら体を動かしている人もいらっしゃる。
そして基本的にガタイがいい。
俺は身長180近くあるのに、車内の男の中では小さいほう。
この状態に、俺はかなり、ビビってしまった。
窓の外の景色みると、(blueという路線はmetroなのに地上を走っている)どう見ても裕福そうには見えない家と工場みたいなのばかり。止まっている車も四角い古そうなやつが多いし、家もぼろっちいい。そして何より歩いているのは黒人とメキシコ系ばかり。
しかし、一回も話しかけられることも無く、無事にダウンタウンについた。
ダウンタウンでまたハリウッド行きのにredという路線に乗り換えた。今度の路線は、ちゃんと地下のみを走り、車内には白人もいて、普通な感じだった。
駅で駅員に切符を見せろといわれて、これはblueの切符だからredには乗れないといわれた。また切符を買うことになり、本当に空港からハリウッドまではmetroでいいのかとあの空港のinformationの人に対しかなり疑いを持った。
ハリウッドに着いたら、いろいろな人種が普通の割合でいて、やっと普通のところに戻ったと思った。
宿はYHなので見つけるのに苦労した。
YHは看板とか小さいし、入り口はもっと小さいので見つけにくい。
夕飯は、朝機内食が満足だったので節約ということでハンバーガーにしてみよう。ってことになった。
reglurを頼んだのに、多かった。juniorが日本と同じくらいだった。
その上にlargeとkingとさらに二段階あったが、無理だと思ったが、それを毎日食べてそうな、体型が球形と言い表していいようなモンスター2人組が隣で食べていて納得した。
友達がorangejuiceと頼んだが、1%も果汁が入ってなさそうな、極彩色の砂糖水が出てきて、アメリカを感じた。
ハンバーガーは、レタスが多くて、日本よりうまかった。
帰ったら、相部屋は、スペイン語を話す白人で、
見た目いかついけど、ふれんどりーだった。
だが、夜中バドワイザーを飲んで騒いでいて、(オッパと叫んでいて、何かと思ったら、横浜に来たとき、覚えたと、言っていた。日本人の女の子に対し、飲み会のときにそう言うと、見せてくれたらしく、
飲み会でテンション高くなると、彼らはそう叫ぶことになったらしい。)
一緒に来た友達は眠れなくて困ったらしい。
が、俺は疲れていたので爆睡したので全く気にならなかった。
使ったお金
成田まで チャリ9800円 交通費830円
ロスから metro3ドルHostel 18ドル 水2ドル KingBG4ドル
計 27ドル
かてきょ
2004年3月4日2度寝して起きたら、なんと夕方5時だった。。眠りすぎだ。
でも、おかげで、肩こりがだいぶ回復した。
寝まくったら肩こり治るかもしれない。
こんなに寝たのは、結構久しぶり。
ここ最近は駄目生活していなかったから。
かてきょに行ってきた。
なんと生徒の肩もこっていた!
これはいけないと思ったので、
本人にも親にも、テスト前だろうと遊びなさい!
と言ってきた。
何も用意をしていないので、帰ってから用意した。
まだチャリを買っていない。
明日出発前に買いに行かないと。
時差のために今日は寝ないつもりだから時間があった。
でも、おかげで、肩こりがだいぶ回復した。
寝まくったら肩こり治るかもしれない。
こんなに寝たのは、結構久しぶり。
ここ最近は駄目生活していなかったから。
かてきょに行ってきた。
なんと生徒の肩もこっていた!
これはいけないと思ったので、
本人にも親にも、テスト前だろうと遊びなさい!
と言ってきた。
何も用意をしていないので、帰ってから用意した。
まだチャリを買っていない。
明日出発前に買いに行かないと。
時差のために今日は寝ないつもりだから時間があった。